歴史探偵女三国志で嫌いな武将って誰がいるの?



嫌いな理由も知りたい
この記事では、こんな疑問にお答えしますね。
- 三国志ファンが選ぶ嫌いな武将ランキングTOP8
- 各武将が嫌われる具体的な理由とエピソード
- 正史と演義での扱いの違い
- 上司にしたくない武将の特徴
- 裏切り者として有名な武将の実態
- 魏延など誤解されている武将の真実


- 歴史大好き女
- 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き


- 歴史大好き女
- 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き
三国志には魅力的な英雄が数多く登場しますが、その一方で「この人だけは嫌い」と思わせる武将もいますよね?
残虐な暴君、何度も主君を裏切った者、無能なのに高い地位にいた人物など、その理由はさまざまです。
実際、三国志ファンの間では「絶対に関わりたくない」「上司にしたくない」と話題になる武将が何人もいます。
そこで、この記事では、三国志ファンの間で特に嫌われている武将をランキング形式で紹介しますね。
董卓(とうたく)や袁術(えんじゅつ)といった暴君から、呂布(りょふ)や孟達(もうたつ)のような裏切り者まで、なぜ彼らが嫌われるのかを正史と演義の両面から徹底解説。
また、演義では悪役扱いされているものの、正史では実は誤解されている武将についても触れています。
さらに、ビジネスの観点から「上司にしたくない武将」の特徴も分析しますので、三国志の人間ドラマをより深く楽しめますよ。
三国志で嫌いな武将ランキングTOP8


ここでは、三国志ファンの間で特に嫌われている武将をランキング形式でご紹介します。
暴君タイプ、裏切り者タイプ、無能タイプと、嫌われる理由はさまざまなんです。
あなたの「嫌いな武将」は何位にランクインしていますか?
第1位:董卓 – 三国志最悪の暴君として嫌われる理由
堂々の第1位は、三国志最悪の暴君・董卓ですね。
正史でも演義でも一貫して極悪人として描かれていますから。
そして、この董卓が嫌われる最大の理由は、その残虐性なんです。
「殺してしまえ」が口癖で、気に入らない者は問答無用で処刑しました。
朝廷で自分に逆らう者がいれば、その場で斬り捨てることも珍しくなかったようです。
また、少帝を廃立し幼い献帝を擁立して朝廷を意のままに操り、官職を金で売買するなど権力を私物化。
反董卓連合軍に追い詰められると、首都洛陽を焼き払い多くの民を犠牲にしました。
さらに、演義では赤兎馬と金銀財宝で呂布を誘惑し、呂布の養父・丁原を殺させるという場面も。
最後は呂布に裏切られて殺されますが、それまでやりたい放題でした。
まさに、「三国志で最も関わりたくない人物」の筆頭にふさわしいですね。
第2位:袁術 – 上司にしたくない無能な君主
第2位は、史上最低のボンボン君主・袁術です。
三国志ファンの間でも「一番人気がない」と言われる人物になります。
そして、この袁術は四代にわたって高官を輩出した名門袁家の出身でしたが、本人にはまったく実力がありませんでした。
典型的な「親の七光り」で、周囲からも疎まれていたと記録されていますよ。
特にひどいのが、伝国の玉璽を手に入れたことで調子に乗り、勝手に皇帝を自称した事件です。
これには、他の群雄たちも呆れ果て、完全に孤立してしまいました。
また、ピンチになると犬猿の仲の兄・袁紹に泣きついたという身勝手さも。
さらに、武にも知略にも優れておらず、ゲームでも能力値が低くて使い道に困る武将の代表格ですね。
まさに、「上司にしたくない武将ナンバーワン」と言えるでしょう。
第3位:孫皓 – 関わりたくない呉の暴君
第3位は、呉のラストエンペラー・孫皓です。
この孫晧ですが、董卓に匹敵するほどの暴君として知られています。
そして、この孫晧は、名君・孫権の孫でしたが、祖父とは正反対の最悪の君主でした。
宮中の女性を2500人も抱え酒池肉林の生活を送る一方、民には重税を課し国を疲弊させました。
また、宮廷内で楯突く者がいればその場で斬りつけ、臣下たちは常にびくびくしていたと言われています。
だからこそ、晋に攻め込まれた時も必死で国を守ろうという人間がほとんどおらず、あっさりと降伏してしまったのです。
まさしく、三国の中で最後まで残っていた呉を滅亡に導いた張本人なんです。
第4位:呂布 – 裏切り者として最も有名な武将
第4位は、三国志最強の武将でありながら裏切り者の代名詞・呂布です。
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われるほどの最強武将でしたが、その強さも裏切りの多さで台無しになりました。
最初の裏切りは、董卓から赤兎馬と財宝を贈られ、主君の丁原を殺したこと。
二度目は、美女の貂蝉を巡って養父である董卓を殺害。
ちなみに、この貂蝉ですが、正史には侍女と記載があるだけで演義の創作と言われています。
そして、三度目は受け入れてくれた劉備の好意を裏切り、留守中に徐州を乗っ取ったこと。
これらのことにより、呂布は「三姓家奴」と罵られ、最終的には曹操と劉備の連合軍に捕らえられ処刑されました。
最強の武力を持ちながら、信義のなさゆえに誰からも信用されず滅びた典型例ですね。





暴君タイプ(董卓・孫皓)、無能タイプ(袁術)、裏切り者タイプ(呂布)と、嫌われる理由が明確に分かれています。いずれも現代の職場でも嫌われるタイプですね。
三国志の嫌いな武将ランキング【5位〜8位】と裏切り者たち
ランキング上位4名を見てきましたが、まだまだ嫌われる武将はいますよ。
そこで、ここでは5位から8位までの武将を紹介しますね。
また、なぜ彼らが嫌われるのか、そのタイプ別に分類して分析していきましょう。
第5位:孟達 – 三度裏切った転職武将
第5位は、呂布と並ぶ裏切り者・孟達です。
呂布よりも計算高く、陰湿な裏切りをした人物として知られていますね。
そして、孟達の主君遍歴は驚くべきもので、劉璋→劉備→曹丕→諸葛亮と次々に変えました。
特に許せないのが、関羽が樊城の戦いで孤立した際、援軍を送らずに見殺しにした疑いです。
さらに、劉備の養子・劉封を陥れて処刑に追い込むという陰湿な行為もありました。
ちなみに、容姿は美しかったと言われていますよ。
しかし、正史『三国志』でも列伝が立てられていない「容貌だけの男」と評価されているのです。
第6位:張飛 – パワハラ上司の典型例
第6位は、劉備の義弟として有名な張飛です。
勇猛果敢な武将として人気がある一方で、典型的な「パワハラ上司」でもありました。
そして、演義では酒を飲んで部下に暴力を振るう場面が何度も描かれています。
短気で感情的な判断をすることも多く、最後は部下に殺されてしまうのです。
ただし、正史では実は文武両道の知将で書や絵画にも優れていたと記録されています。
それでも、部下への扱いが悪かったのは事実で、どんなに優秀でも部下を大切にしなければ最後は裏切られるという教訓を残しました。
第7位:魏延 – 誤解された反骨の武将
第7位は魏延ですが、この人物は正史と演義で評価が大きく異なりますよ。
演義では、諸葛亮に「反骨の相がある」と疑われ、最後は謀反人として処刑される悪役として描かれています。
しかし、正史では劉備に抜擢された優秀な武将だったのです。
そして、最後に殺されたのは諸葛亮死後の権力闘争が原因で、楊儀という文官と対立した結果です。
陳寿も「魏延の真意を察するに、謀反を起こそうとしたものではない」と評価しており、演義で誤解されている武将の代表格になります。


第8位:諸葛亮 – 優秀すぎて上司にしたくない軍師
第8位は、意外かもしれませんが諸葛亮になります。
三国志のゲームでは、知力100、政治力98という超優秀な軍師ですが、だからこそ「上司にしたくない」という意見もあるのです。
そして、この諸葛亮ですが、完璧主義すぎて細かいことまで全て自分で管理しようとした結果、部下が育たなかったとも言われています。
また、魏延など一部の部下を信用しない面もあったのです。
さらに、諸葛亮は優秀すぎて部下が委縮してしまうという問題もあります。
ただし、諸葛亮の能力そのものは最高レベルで、「嫌い」というより「上司にすると辛そう」という意見が多いのが実情なんです。





裏切り、パワハラ、誤解、完璧主義と、5-8位は嫌われる理由が多様です。特に魏延のように演義で歪められた人物もおり、情報源の信頼性を見極める重要性を教えてくれます。現代のフェイクニュースにも通じる教訓ですね。
三国志で嫌いな武将ランキングの理由を正史と演義で比較


嫌われる武将の中には、演義の影響で実際よりも悪く描かれている人物もいます。
そこで、ここでは正史と演義での評価の違いを比較し、誤解されている武将や、逆に一貫して嫌われている武将について解説しますね、
正史でも演義でも嫌われる暴君:董卓と孫皓
董卓は、正史でも演義でも、まったく同じく残虐な暴君として描かれていますね。
正史『三国志』でも、少帝の廃立、洛陽焼き討ち、無実の人々の虐殺など、史実として確認できる悪事が山ほど記録されています。
そして、呉のラストエンペラー、孫皓も同様です。
正史『三国志』の呉書には「暴虐無道」という言葉がぴったりの君主として記録されています。
また、演義でも同様に最悪の君主として描かれているのです。
さらに、呉が滅亡した最大の原因は孫皓の暴政だったと、正史でも演義でも評価されていますよ。




演義で嫌われるが正史では評価が異なる武将
魏延は、演義と正史で最も評価が異なる武将の一人です。
演義では「、反骨の相」で有名ですが、正史では劉備に抜擢された優秀な将軍で、漢中太守という重要な役職を任されました。
そして、最後に殺されたのは諸葛亮死後の権力闘争で楊儀に敗れたからで、謀反の意図はなかったと陳寿も評価していますよ。
そのため、魏延は演義で創作された「悪役イメージ」の犠牲者なのです。
また、張飛も演義では酒乱で粗暴なイメージですが、正史では文武両道の知将という一面もありました。
書や絵画に優れた文化人で、戦略眼も持っていたようです。
ただし、部下への扱いが悪かったのは正史でも事実で、この点は演義と正史で一致していますね。
裏切り者ランキング:呂布と孟達はどちらが悪い?
呂布の裏切りは、とても単純であり、全く計画性がありません。
丁原→董卓は赤兎馬に釣られ、董卓殺害は貂蝉を巡る対立、劉備への裏切りは曹豹にそそのかされてのもの。
このように、すべて目の前の利益や感情で動いており、長期的な戦略がまったく無いのです。
その一方、孟達の裏切りは計算高く陰湿なんです。
常に、「次はどこが勝つか」を計算して動いており、関羽を見殺しにしたり劉封を陥れたり、その手口も陰湿そのもの。
このように、呂布は単純で予測しやすいバカ、孟達は計算高い陰湿な裏切り者です。
もっとも、どちらも最悪ですが、タイプが異なりますね。
上司にしたくない武将の共通点とは?
現代のビジネス視点で「上司にしたくない武将」の共通点を分析してみますね。
これらは、現代の職場でも嫌われる上司の典型例で、三国志は1800年前の話ですが人間の本質は変わっていないんですね。
よくある質問(FAQ)
- 三国志で一番嫌われている武将は誰ですか?
-
董卓が最も嫌われていますね。残虐性、傍若無人な振る舞い、権力の私物化など、嫌われる要素を全て備えた人物です。そして、正史でも演義でも一貫して悪役として描かれており、異論の余地がありません。洛陽焼き討ちや少帝の廃立など、史実として記録された悪行も多数あります。
- 呂布はなぜ裏切り者として有名なのですか?
-
それは、丁原、董卓、劉備と三度も主君を裏切ったためです。個人の武力は最強でしたが戦略性や忠義心が欠けており、より良い条件を提示されるとすぐに主君を変えました。そのため、「三姓家奴」と罵られ、最終的には誰からも信用されず処刑されました。武力だけでは成功できないという教訓です。
- 袁術が無能と言われる理由は何ですか?
-
名門袁家出身という肩書きだけで実力がなく、勝手に皇帝を自称して周囲から孤立しました。優秀な部下の進言も聞かず独断専行で国を衰退させたのです。そして、最後は蜂蜜水を求めながら死んだと記録されています。ゲームでも能力値が低く使い道に困る武将の代表格ですね。
- 魏延は本当に謀反人だったのですか?
-
演義では「反骨の相」があり謀反人として描かれていますが、正史では諸葛亮死後の権力闘争で楊儀との対立により殺された犠牲者という見方が有力です。陳寿も「謀反の意図はなかった」と評価しており、演義で誤解されている武将の代表例と言えます。また、実際には劉備に抜擢された優秀な将軍でした。
- 諸葛亮が嫌いという人もいるのですか?
-
優秀すぎて部下が委縮する、完璧主義で細かすぎる、魏延など部下を信用しない面がある、などの理由で「上司にしたくない」と感じる人もいるようです。林修先生も「避けてきたタイプ」と発言していますね。ただし能力そのものは最高レベルで評価されており、「嫌い」というより「一緒に働くと辛そう」という意見が多いです。
まとめ:三国志の嫌いな武将ランキングから学ぶ教訓
ここまで、三国志で嫌われる武将たちをランキング形式で見てきましたが、彼らから学べる教訓も多くあります。
嫌われる武将ランキングの共通点
- 権力を私物化し暴政を敷く(董卓・孫皓)
- 信義を守らず裏切りを繰り返す(呂布・孟達)
- 実力がないのに高い地位にいる(袁術)
- 部下を大切にしない(張飛のパワハラ)
- 完璧主義すぎて部下が委縮する(諸葛亮)
どんなに優れた能力を持っていても、人間性や信頼関係がなければ成功できません。
呂布は、最強の武将でしたが裏切りの多さで誰からも信用されず滅び、袁術は名門出身でしたが実力が伴わず失敗しています。
逆に、劉備は武力も知力も最強ではありませんでしたが、人望があったからこそ関羽や張飛、諸葛亮といった優秀な人材が集まりました。
この人間性こそが、幼少期のわらじ売りから成功した劉備の鍵だったのです。
その一方、魏延のように演義では悪役でも正史では評価が異なるケースもあります。
一面的な見方だけで判断することの危険性も教えてくれますよね。
そして、三国志は単なる歴史物語ではなく、現代のビジネスや人間関係にも通じる深い教訓が詰まっています。
嫌いな武将ランキングから彼らの失敗を学び、自分自身の行動を見直すきっかけにもなりますよ。



嫌われる武将の多くは短期的な利益や欲望を優先し、長期的な信頼関係を軽視した結果破滅しました。そのため、三国志は「人間性こそが成功の鍵」という普遍的な真理を教えてくれるのです。
