三国志と言えば、古代中国史において、とても知名度が高い歴史物語です。
中国史を知っている人にとっては、三国志の時代はかなり興味深いと思っている事でしょう。
ただ、三国志という名前は聞いたことがあるけど、その具体的な歴史については良く分からないという人もいると思います。
そこで、当記事では三国志とは?そのあらすじについて解説します。
そもそも三国志とは?

まずは、三国志とは何か?について解説しますね。
三国志とは中国の後漢末〜三国時代の歴史
三国志とは、中国の後漢末期から三国時代(180年頃〜280年頃)を舞台とした歴史物語です。
この時代、後漢王朝の政治腐敗や権力争いが激化し、国内が混乱状態に陥っていました。
その中でも特に有名な出来事のひとつが「黄巾の乱」です。
これは、太平道の教祖である張角が率いる反乱で、農民たちが政治への不満を爆発させたものです。
この乱を鎮圧する過程で新たな英雄たちが台頭し、それが後の三国志に登場する蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権らへと繋がっていきます。
この内乱の余波で後漢は滅び、最終的に魏・蜀・呉の三国による鼎立状態となったのです。
三国志演義と正史の違い
三国志の物語には、主に2つの大きな視点があり、それは『三国志』と『三国志演義』です。
『三国志』は、陳寿という人物が記した歴史書で、事実を基に正確に記録されています。
そして、『三国志演義』は、その正史を基にして書かれた歴史小説で、エンターテインメント要素が強い物語として知られています。
例えば、『三国志演義』では関羽や諸葛亮が神格化されており、忠義や策略を象徴する英雄として誇張されています。
このため、『演義』はフィクションの側面が強い一方で、人間ドラマやエピソードの豊富さから読者を引き込む魅力を持っています。
三国志が人気の理由
なぜ、三国志がこれほどまでに人気を誇るのか?
それは、その壮大なスケールと登場人物たちの個性の豊かさが理由となっています。
それぞれの国が覇権を競う中で、英雄たちは友情や裏切り、策略、戦略を繰り広げ、物語が展開していきます。
読者は、その中で共感するキャラクターを見つけたり、人間模様の深みにどんどんハマっていくのです。
また、歴史を背景としながらも非常にドラマチックな物語となっています。
そのため、読み進めるほどに歴史書の枠を超えたエンターテインメント性を感じられる点も大きな魅力の一つです。
歴史書だけではない物語性の魅力
三国志は、単なる歴史書ではなく、その物語性が時代を超えて多くの人々に愛されています。
劉備や関羽、張飛の結束を描いた「桃園の誓い」のような感動的な場面や、諸葛亮孔明による奇策の数々など、人々を魅了するエピソードが満載です。
特に、登場人物たちの信念や生き様には、現代でも通じる教訓や感動が詰まっています、。
そのため、多くの人々にインスピレーションを提供し続けています。
これらの要素が重なり合って、三国志は「壮絶な歴史ドラマ」として今日まで語り継がれているのです。

三国志演義は聞いたことあるけど、多分にフィクションが含まれているんですね。



そうそう、三国志は史実に基づいて書かれているけど演義にはフィクションが含まれているので読み物としては面白いですよ。
ざっくり分かる三国志の流れ
ここでは、三国志のあらすじについてざっくり解説します。
後漢末の混乱と黄巾の乱
三国志の物語は、後漢末の激しい動乱から始まります。
この時代、中国では政治腐敗が進み、宦官の専横や地方豪族の台頭により社会秩序が崩壊しつつありました。
その中で、張角という宗教指導者が「太平道」という教えを広め、民衆を巻き込んで大規模な反乱を起こします。
これが、西暦184年に起こった俗にいう「黄巾の乱」です。
この反乱を鎮圧する過程で、数多くの英雄たちが登場しました。
例えば、劉備、関羽、張飛の三人は義勇軍を結成し、この乱世の中でその名を知られるようになったのです。
また、袁紹や曹操、孫堅なども、この反乱を制圧する過程で台頭してきた英雄です。
官渡の戦いと曹操の台頭
黄巾の乱が収束した後も、中国全土は群雄割拠の状態が続きました。
その中で、頭角を現したのが曹操です。
彼は、優れた知略と武力を駆使して周囲の勢力を圧倒し、次第に強大な力を持つようになりました。
その中でも、「官渡の戦い」は彼の台頭を決定づけた重要な戦いです。
この戦いでは、河北地方を支配する強大な袁紹軍と曹操軍が激突しました。
大軍を擁する袁紹に対し、曹操は補給路を断つなど巧妙な戦略を用いて勝利を収めました。
この結果、曹操は中原を支配し、「魏」の基盤を構築していくことになったのです。
赤壁の戦いと天下三分の計
曹操が中原を制圧する中、南方では孫権が「呉」の勢力を固め、蜀の劉備もまた勢力を拡大していきました。
この三勢力が激突したのが、あの有名な「赤壁の戦い」です。
曹操の圧倒的な兵力の前に、一見分が悪いと思われた孫権と劉備の連合軍。
しかし、周瑜の知略や火計を駆使した策略により、結果曹操軍は大敗を喫しました。
この戦いを機に、中国大陸は「魏」「呉」「蜀」の三国に分かれることとなりました。
いわゆる、「三国時代」の到来を迎えたのです。
三国時代の終焉
三国が鼎立したものの、それぞれの国力差や内部事情により形勢は徐々に変化していきます。
まず、「蜀」が魏に滅ぼされ、その後「呉」もまた魏の後を継いだ「晋」に征服されます。
その結果、最終的に西暦280年、「晋」が中国全土を統一し、約100年間にわたる三国時代は終焉を迎えたのです。
この時代の結末は、人間関係の紆余曲折や戦略の重要性が描かれており、三国志という物語の魅力を一層引き立てています。



三国志において黄巾の乱は有名ですよね?



三国志が始まるきっかけは西暦184年の黄巾の乱で、終わりは西暦280年の晋の統一です。
三国志の主要登場人物


ここでは、三国志における主要な人物について解説します。
劉備玄徳と関羽、張飛
三国志の中でも特に有名なエピソードの一つに、「桃園の誓い」があります。
ここでは、蜀(しょく)の創始者である劉備玄徳と、その仲間である関羽や張飛が、自らの血を交わし義兄弟となることを誓い合います。
義兄弟の絆は終生変わらず、彼らの友情が蜀を支える大きな柱となります。
特に、劉備は信義と仁徳を重んじる人物として描かれています。
そのため、民と共に歩む指導者像があらすじ全体に深く影響を与えています。
曹操孟徳は悪役か英雄か?
三国志に登場するもう一人の中心人物に曹操孟徳がいます。
彼は、魏を築き上げた英雄でありながら、物語によっては悪役として描かれることもあります。
彼は知略に優れ、乱世を生き抜く不屈の精神と強力な野心を持った人物です。
この強力な野心のためか、敵対する者には容赦のない一面もあり、その姿勢から賛否が分かれます。
『三国志演義』のあらすじでは、冷徹な悪役として描かれる場面が多くあります。
ただ、正史では優れたリーダーとしての面も見ることが出来ます。
呉の孫権
孫権は、呉の君主として、魏と蜀に並ぶ三国の一角を形成した人物です。
孫権は知略に長け、父・孫堅や兄・孫策の意志を受け継いで呉の基盤を固めました。
他の国に比べて海を活用した戦略が得意で、「赤壁の戦い」では周瑜ら軍師と共に、曹操の大軍を破る重要な役割を果たしました。
そのため、彼の存在は三国志における呉の魅力を十分引き立てています。
天才軍師の諸葛亮孔明
三国志を語る上で欠かせない人物が、蜀の天才軍師・諸葛亮孔明です。
彼は、劉備の「三顧の礼」により迎えられ、知恵と戦略で蜀を支える柱となります。
特に、天下三分の計を立て、蜀の成立を導いた功績は計り知れません。
『三国志演義』では、小説的な脚色により神格化された部分もあり、彼の策略や多才ぶりがより一層ドラマチックに描かれます。
また、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という逸話に代表されるように、彼の死後の影響力も語り継がれています。
彼の存在は、三国志の物語において、大きな影響力を与えています。



劉備や諸葛孔明は有名ですよね?



三国志には、劉備や諸葛孔明以外にも色々な武将が登場します。
まとめ
三国志とは、後漢末期から魏呉蜀の三国時代までの歴史を描いた物語です。
184年に起きた張角による黄巾の乱から始まり、280年の晋の統一までの約100年間を指します。
この間、魏の曹操や呉の孫権、蜀の劉備など、数多くの英雄が現れました。
これらの英雄が、武力や知力、策略などを駆使しながら、数多くの戦いが行われています。
勝利や敗北を繰り返しながら、最終的に晋の司馬炎が統一して終わりを告げました。



三国志の時代は、約100年間続きました。