なぜ司馬遼太郎は三国志を書かなかった?その意外な真実と代替作品

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なぜ司馬遼太郎は三国志を書かなかった?その意外な真実と代替作品
歴史探偵女

司馬遼太郎はなぜ三国志を書かなかったの?

歴史探偵男

司馬遼太郎の代表作品はなに?

この記事では、こんな疑問にお答えしますね。

この記事で分かること
  • 司馬氏が三国志を書かなかった明確な理由
  • 前日譚である項羽と劉邦の楽しみ方
  • 街道をゆくで語られた孔明や曹操の評価
  • 司馬史観で読み解く英雄たちの実像
  • 次に読むべき宮城谷昌光作品の魅力
執筆者情報
歴女
歴女
  • 歴史研究20年の歴史大好き女
  • 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
  • 日本史&中国史が得意
  • 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き
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歴史小説界の巨人である司馬遼太郎が描く三国志を読んでみたいと思ったことはありませんか?

もし彼が、劉備や曹操や諸葛孔明を描いたら、一体どんな人間ドラマになったことでしょう。

そして、実はインターネット上でも、司馬遼太郎の三国志作品に関する情報は非常に多く検索されています。

しかし、残念ながら司馬遼太郎というタイトルの付いた三国志の小説や漫画原作は存在しません。

そこで、なぜ書かなかったのかという理由には、吉川英治や陳舜臣といった同時代の作家との関係や、彼自身の歴史観が深く関わっています。

ただ、それでも諦めるのは早いんです。

実は、彼の名作である項羽と劉邦は実質的な前日譚として楽しめますし、紀行文の中で彼が語った英雄たちの真実を知ることで、幻の作品を脳内で補完することができるのです。

目次

司馬遼太郎が三国志を書かなかった理由と背景

司馬遼太郎が三国志を書かなかった理由と背景

多くの歴史ファンが夢想する「司馬遼太郎版三国志」。

なぜこれほどまでに渇望されながら、ついに執筆されることがなかったのでしょうか?

そこで、ここでは、その背景にある作家としての矜持や、同時代の環境について、私の20年の研究生活で感じてきたことを交えて深く掘り下げていきます。

司馬遼太郎の三国志がない理由と読者の渇望

私自身、歴史小説を読み始めた頃、何度も書店や図書館で「司馬遼太郎の三国志」を探してしまった経験があります。

恐らく、この記事を読んでいるあなたも同じ経験をお持ちではないでしょうか?

そこで、結論から申し上げますと、司馬遼太郎は『三国志』というタイトルの小説を一本も残していません。

これは、歴史小説界における最大の「不在」とも言える現象なんです。

しかし、インターネット検索のデータを見ると、「三国志 司馬遼太郎」と調べる人は後を絶ちません。

これは、単なる書誌情報の確認ではなく、もっと深い心理的な渇望があるからなんです。

そして、読者が求めているのは、物語のあらすじではありません。

「あの合理的な司馬史観で、諸葛孔明の魔術的な活躍をどう論理的に解釈したのか」「劉備というつかみどころのない人物を、どのような人間的魅力を持つリーダーとして描いたのか」という、高度な知的興奮への期待なんですね。

司馬作品特有の、歴史を俯瞰し、メカニズムとして解き明かす視点で三国志を読み直したいという願いが、この検索キーワードには込められているのだと思います。

つまり、読者が求めているのは、単なる物語としての三国志ではなく、司馬遼太郎という独自のフィルターを通した「合理的な人間ドラマと社会構造の分析としての三国志」なのです。

吉川英治や陳舜臣との関係に見る執筆の背景

なぜ司馬遼太郎は、これほど魅力的な題材である三国志を書かなかったのでしょうか?

その理由として決して無視できないのが、同時代に活躍した偉大な作家たちの存在です。

これについては、当時の文壇の空気感を想像すると非常に納得がいきます。

まず、日本においては吉川英治の『三国志』があまりにも絶対的な「国民文学」として定着していました。

吉川三国志は、日本人好みの道徳観や儒教的な美学で彩られており、完成されたエンターテインメントだったのです。

そして、司馬遼太郎という作家は、先行する傑作が存在する場合、あえて同じ題材を扱うことを避ける傾向がありました。

「すでに素晴らしいものがあるのに、屋上屋を架す必要はない」と考えたのかもしれませんし、別の視点を提供する余地が少ないと感じたのかもしれません。

また、同じ大阪出身で盟友でもあった陳舜臣氏の存在も大きかったはずです。

中国語に堪能で深い造詣を持つ陳氏は『秘本三国志』などの傑作を残しています。

そのため、文壇においては、「中国ものは陳舜臣、日本ものは司馬遼太郎」というような、暗黙の敬意と分業、あるいは「棲み分け」のような関係性があったのではないかと私は推察していますよ。

司馬遷に由来する筆名と司馬懿仲達との奇縁

司馬遷に由来する筆名と司馬懿仲達との奇縁

これ、意外と知られていない面白い話なんですが、司馬遼太郎というペンネーム自体が中国史と切っても切れない深い関わりを持っているんです。

彼の本名は福田定一ですが、ペンネームは「司馬遷に遼(はる)か及ばない日本の太郎(男子)」という意味でつけられました。

ちなみに、司馬遷といえば、あの『史記』を書き上げ、歴史記述の基礎を作った中国前漢時代の巨人ですよね。

このネーミングからも、彼が『三国志演義』のようなフィクション(講談)の延長ではなく、資料に基づいた客観的かつ批評的な「正史」の世界観を強く意識していたことがわかります。

さらに興味深いのが、三国志の最終的な勝者である司馬懿(仲達)の一族も「司馬」姓であることです。

司馬遷と司馬懿は直接の家系ではありませんが、同じ姓を持つことに運命的なものを感じざるを得ません。

しかし、司馬遼太郎作品の多くは、勝者である晋(司馬一族)の物語ではなく、敗れゆく者や変革期の志士に寄り添うものでした。

彼が「司馬」を名乗りながら、勝者である司馬懿を描く小説を書かなかったことは、彼の作家としての「敗者への美学」の表れとも分析できるかもしれませんね。

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司馬氏が筆を執らなかったのは、先行する吉川英治への敬意や陳舜臣との棲み分けがあったからでしょう。しかし、その「不在」こそが、私たちに「もし司馬史観なら」という想像の余地を与え、歴史を多角的に見るための飽くなき探求心を刺激し続けているのです。

実質的な司馬遼太郎の三国志といえる関連作品

実質的な司馬遼太郎の三国志といえる関連作品

「小説としての三国志」はありませんが、そこで諦める必要はありません。

実は、司馬作品の中には「三国志の世界」を深く理解するための鍵となる作品がいくつも存在します。

そこで、これらを繋ぎ合わせ、彼の思考をトレースすることで、私たちの脳内に幻の司馬版三国志を浮かび上がらせることが可能なのです。

前日譚の項羽と劉邦は必読の三国志関連作品

「司馬遼太郎の三国志がどうしても読みたい!」という方に、私が真っ先におすすめするのが長編小説『項羽と劉邦』です。

この作品を読まずして、司馬遼太郎の中国史観は語れませんね。

そして、この舞台は三国志の時代から遡ること約400年。

後に漢帝国を築くことになる劉邦と、彼と覇権を争った悲劇の英雄・項羽の物語です。

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そこで、これを読むことは、実は三国志の「前提条件」を理解することに他ならないんです。

なぜなら、三国志の英雄たちが命がけで奪い合った「漢王朝」というシステムがどのようにして生まれ、なぜ人々が「漢の復興」にあれほどこだわったのか、そのルーツが詳細に描かれているからです。

また、『三国志演義』のような派手な妖術や一騎当千のアクションは出てきませんが、その代わりに、徹底した『史記』ベースのリアリズムで描かれる兵站(ロジスティクス)や地理的条件の描写が満載です。

「補給線がどうなっているか」「兵士の食糧はどう確保するか」といった視点は、まさに私たちが求めていた「司馬節」全開の歴史ドラマと言えるでしょう。

司馬作品としての劉備玄徳と劉邦の共通点

『項羽と劉邦』を読み進めていると、不思議と三国志の主人公である劉備玄徳の姿が重なって見えてくる瞬間があります。

それもそのはず、劉備は劉邦の末裔を称していますし、物語上の役割やキャラクター構造も驚くほど酷似しているんです。

司馬遼太郎が描く劉邦は、「個人の能力は何もないが、なぜか人に好かれる」「一種の虚無を抱えた不思議な器」として造形されています。

つまり、彼は自分で策を考えることも、戦うこともできませんが、他人を使いこなす天才的な才能を持っていたのです。

これはまさに、具体的な知略は諸葛孔明に、武勇は関羽や張飛に任せ、自身は「徳」という看板の神輿として存在し続けた劉備の、極めてリアリズム的な解釈として読むことができるのではないでしょうか。

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人物司馬遼太郎による描写の特徴三国志キャラとの共通点
劉邦無能だが人を惹きつける天才的な「器」。一種の虚無感を持つ。劉備(人徳で英雄を集めるリーダー、漢室の末裔)
項羽個人の武勇は最強だが政治を知らない。感情的で孤立する。呂布(武力最強)や初期の曹操(覇権の象徴)
韓信戦術の天才だが保身を知らない純粋な技術屋。諸葛孔明(組織に殉じる軍事の天才、悲劇の宰相)

このように対比させて読むと、司馬遼太郎がもし劉備を描いたら、きっと劉邦のような「愛すべき、しかしどこか得体の知れない親分」として描いたに違いないと思えてきますね。

正義の味方としてではなく、人間臭い「親分」としての劉備像が見えてくるはずです。

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街道をゆくで語られる蜀の地理と英雄の真実

街道をゆくで語られる蜀の地理と英雄の真実

小説という形ではありませんが、紀行文集の傑作『街道をゆく 20 中国・蜀と雲南のみち』は、実質的な「司馬遼太郎の三国志論」と言っても過言ではありません。

そのため、この作品は三国志ファンなら必携の一冊ですよ。

1981年に蜀の都であった成都を訪れた司馬さんは、英雄たちの物語以上に、その舞台装置である「インフラ」と「地政学」に注目しました。

特に、成都平原を潤す古代の水利施設「都江堰(とこうえん)」を訪れた際の記述は圧巻なんです。

彼は、劉備がこの地に独立政権(蜀漢)を樹立し、強大な魏に対抗し得た最大の理由は、諸葛孔明の奇策や妖術ではなく、この都江堰がもたらす圧倒的な農業生産力にあったと見抜いています。

そして、「英雄の活躍も、物理的な生産基盤の上で初めて成立する」という唯物論的かつ合理的な視点は、現代のビジネスパーソンにも通じる非常に鋭い分析です。

物語のロマンだけでなく、こうした経済的な背景を知ることで、三国志の世界はより一層リアルなものになりますね。

司馬史観で読み解く曹操の革新性と孔明の悲劇

日本では長らく、曹操は「悪役(奸雄)」として描かれることが一般的でした。

しかし、司馬遼太郎の曹操観は、非常にフェアで近代的、そして多面的なものだったのです。

彼は、曹操を単なる覇王としてだけでなく、優れた詩人(文人)としてのロマンティシズムを高く評価していました。

さらに、当時の凝り固まった家柄社会を、実力主義(唯才主義)によってぶち壊した「革命児」として捉えていた節があります。

ちなみに、この「旧弊を打破する合理的な精神」は、彼が愛した織田信長や坂本龍馬に通じるキャラクター像であり、もし司馬版三国志があったなら、曹操こそが真の主人公だったかもしれません。

その一方で、諸葛孔明については、演義のような全知全能の魔術師としてではなく、「悲劇のテクノクラート(技術官僚)」として見ていました。

強大な国力を持つ魏に対し、極めて限定的なリソース(蜀の国力)と厳格な法治主義、そして超人的な勤勉さで対抗しようとした実務家。

また、司馬さんが五丈原の戦いで注目したのは、司馬懿が孔明の使者に対し「食事の量は?睡眠時間は?仕事量は?」と問い詰め、「食少なく事多し。これでは長生きできまい」と看破したエピソードなんです。

ここに、組織運営を一手に担った人間の過酷さと哀愁を見出していたのでしょう。

諸葛孔明の南征と日本人のルーツ雲南の関係

これは少しマニアックですが、司馬遼太郎ならではの非常に面白い視点です。

『街道をゆく』の中で、彼は雲南省や長江流域の文化(照葉樹林文化)が、稲作や納豆などの食文化を含め、日本人のルーツに近いのではないかと推察しています。

そう考えると、諸葛孔明が行った有名な「南征(南万討伐)」の意味がガラリと変わってきますね。

そこで、従来の物語では「未開の蛮族を教化する」という文脈で語られています。

しかし、司馬史観を通すと、これは「漢民族(中原文化)」による、「長江文明(日本人の古層とつながる文化)」への征服戦争という側面を帯びてくるのです。

また、司馬さんは現地で出会った少数民族(イ族やサメ族)の人々に「懐かしい日本人」の面影を見ています。

三国志という物語を「遠い他国の戦争」から、「遠い親戚の物語」へと接続し直すこの視点は、歴史家であると同時に優れた文化人類学的視点を持っていた司馬遼太郎ならではのアプローチですね。

司馬遼太郎ファンにおすすめの宮城谷昌光作品

「解説はわかった。でもやっぱり、司馬さんのような硬質な文体で、史実に基づいた三国志小説を読みたいんだ!」という方には、私は迷わず宮城谷昌光さんの作品を強くおすすめします。

多くの書店員や評論家が「司馬遼太郎の正統な後継者」と評するように、宮城谷さんは司馬遼太郎と同じく『史記』や正史『三国志』、あるいは『後漢書』に基づいた徹底的なリアリズムを重視しているのです。

そして、漢語を駆使した格調高い文章は、読んでいるだけで賢くなったような知的な充足感を与えてくれます。

そこで、特に短編集『三国志名臣列伝』は入門書として最適なんです。

この作品集は、派手な主役級だけでなく、荀彧、何進、盧植といった、歴史を裏で支えた官僚や名臣たちにスポットを当てています。

彼らが抱える「組織と個人の相克」や「理想と現実のギャップ」といったテーマは、司馬遼太郎が好んで描いた近代的な苦悩と共通しており、司馬ファンなら間違いなく「刺さる」内容になっているのです。

歴史探偵男

『項羽と劉邦』を前日譚とし、『街道をゆく』で地理的視点を補完すれば、幻の司馬版三国志は脳内で完成します。劉邦に劉備を重ね合わせることで、英雄たちのドラマはより立体的になり、漢帝国成立のシステムとその起源を深く理解できるはずですよ。

よくある質問(FAQ)

最後に、私が「司馬遼太郎と三国志」というテーマについて、読者や歴史好きの仲間からよく聞かれる質問についてまとめておきます。

Q1. 司馬遼太郎の全集に「三国志」という短編は含まれていますか?

残念ながら含まれていません。司馬遼太郎の膨大な全集や短編集を隅々まで確認しても、三国志の特定の武将を主人公にした小説作品は存在しません。彼はあくまで『項羽と劉邦』での前日譚としての描写や、紀行文『街道をゆく』の中での文明論としての言及に留めています。

Q2. 司馬遼太郎が原作や監修を務めた三国志の漫画はありますか?

原作となる小説自体が存在しないため、司馬遼太郎原作の三国志漫画はありません。漫画化されているのは『項羽と劉邦』であり、こちらはいくつかのバージョンが存在します。また、横山光輝『三国志』のような演義ベースの作品とは異なる、史実ベースのドライで政治的な駆け引きを楽しみたい方には、漫画版『項羽と劉邦』が非常におすすめです。

Q3. 講演会や対談で三国志の武将について語った記録はありますか?

対談集『中国を考える』(陳舜臣らとの対談)などで、中国文明やリーダー論の一部として言及することはありました。しかし、特定の戦い(赤壁の戦いなど)の戦術解説や、武将個人のエピソードを詳細に語るような、いわゆる「軍談」形式の講演記録は主要な資料には見当たりません。これは、彼の関心が個別の戦闘よりも、文明や社会構造にあったからだと思われます。

司馬遼太郎の視点で三国志の世界を再発見する

司馬遼太郎が『三国志』という作品を直接残さなかったことは、私たち読者にとって永遠の喪失かもしれません。

しかし、彼が『項羽と劉邦』や『街道をゆく』に残した断片的な記述や鋭い洞察を拾い集めることで、私たちは自分自身の頭の中で「幻の司馬版三国志」を構築することができます。

そして、曹操を旧弊を打破する革命家として、諸葛孔明を孤独な実務家として、そして劉備を日本的なリーダーの原型として読み解くこと。

それこそが、司馬遼太郎という知の巨人が私たちに残してくれた、新しい三国志の楽しみ方なのかもしれませんね。

そこで、ぜひ皆さんも、既存の三国志作品とは違う角度から、この激動の時代を見つめ直してみてください。

きっと、今まで見えなかった新しい歴史の風景が見えてくるはずですよ。

歴女

司馬遼太郎という補助線を引くことで、三国志は単なる武勇伝から、インフラと経済、組織論が絡み合う近代的ドラマへと変貌します。作品が存在しないからこそ、私たちは既存の物語に縛られず、自由な視点で彼らの生きた時代を再定義できるのかもしれませんね。

※本記事の情報は歴史学的・考古学的な諸説に基づいています。歴史の解釈には諸説あり、新たな発見によって定説が変わることもありますので、知的好奇心を満たす一つの視点としてお楽しみください。

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