歴史探偵女項羽と劉邦っていつの時代の人なの?



項羽と劉邦と三国志とのつながりは?
この記事では、こんな疑問にお答えしますね。
- 項羽と劉邦が三国志より約400年先の物語であるという事実
- 漢王朝の建国から滅亡までをつなぐ歴史年表と時代の流れ
- 劉邦と劉備の血縁関係や項羽と曹操の意外な共通点
- それぞれの時代背景やストーリー構成に基づいた面白さの比較


- 歴史大好き女
- 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き


- 歴史大好き女
- 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き
中国の歴史ドラマや小説、あるいはゲームを楽しむとき、「項羽と劉邦」や「三国志」の時系列がごちゃ混ぜになってしまうことはありませんか?
どちらも魅力的な英雄たちが活躍する乱世の物語ですが、実はこの二つの時代には明確な順番があり、どっちが先かを知るだけで物語の深みがぐっと増すんです。
ちなみに、私自身も歴史に触れ始めた20年前は、この二つの時代の関係や違いを整理するのに苦労した記憶がありますよ。
当時は、「同じ漢王朝の話なのに、なんでこんなに雰囲気が違うんだろう?」と不思議に思ったものです。
そのため、それぞれの時代が持つ面白さや、登場人物たちの意外なつながりを知れば、これから作品に触れる時間がより充実したものになりますよ。
項羽と劉邦と三国志の時系列はどっちが先か解説


中国史の中でも特に人気が高い「項羽と劉邦」と「三国志」ですが、この二つは並行して起きた出来事ではなく、実は数百年の時を隔てた別の時代の物語です。
そこで、ここでは、歴史の大きな流れの中でどちらが先に位置するのか、そして二つの時代をつなぐ「漢王朝」というキーワードを中心に、時系列と関係性をわかりやすく紐解いていきますね。
歴史の順番はどっちが先か約400年の差を確認
結論から言うと、「項羽と劉邦」の時代が先であり、「三国志」はその約400年後の出来事なんです。
この順番だけは、テストに出るとしたら絶対に間違えてはいけない基本中の基本ですね。
それでは、具体的に数字で見てみましょう。
項羽と劉邦が覇権を争った「楚漢戦争」が終結し、漢王朝が成立したのが紀元前202年のことです。
その一方で、三国志の物語の幕開けとされる「黄巾の乱」が起きたのは西暦184年。
ここから計算すると、二つの物語の間には約386年、ざっくり言えば約400年もの歳月が流れていることになりますね。


そして、400年という時間は、日本の歴史で例えるなら、徳川家康が江戸幕府を開いてから現在に至るまでの期間(約420年)とほぼ同じです。
あるいは、平安京ができてから鎌倉幕府が成立するまでの期間とも重なります。
そう考えると、項羽と劉邦が生きた時代と、劉備や曹操が生きた時代とでは色々と異なっていますよね。
社会の仕組みや人々の価値観、使われている道具や武器の性能さえも大きな違いがあるのではないでしょうか?
時系列のポイント
「項羽と劉邦」の戦いが終わってから約400年後に、「三国志」の時代がやってきます。日本で言えば「関ヶ原の戦い」と「現代の令和」くらい離れた出来事だとイメージしてください。
では、なぜこれほど離れた時代が頻繁に混同されてしまうのでしょうか?
その最大の理由は、どちらも「漢(かん)」という巨大な帝国の興亡に関わっているからです。
項羽と劉邦の戦いは、漢王朝が「始まる(建国)」ための物語であり、三国志はその漢王朝が「終わる(滅亡)」ための物語です。
一つの巨大な国家の「オープニング」と「エンディング」にあたるのがこの二つの作品なのです。
この「始まり」と「終わり」の関係性を理解しておくと、中国史の全体像が非常にスッキリとしてきます。
また、三国志の登場人物たちがなぜあれほど「漢」にこだわったのかも見えてくるはずですよ。
漢王朝の興亡がわかる歴史年表と時代区分
二つの時代の距離感をより具体的にイメージするために、主要な出来事を年表形式で整理してみました。
間に挟まる「前漢」と「後漢」という巨大な王朝の存在が、項羽と劉邦の時代と三国志の時代をつなぐ架け橋となっていますね。
中国の歴史において「漢」がいかに長く、そして重要な時代であったかを確認してみましょう。
| 時代区分 | 時期(目安) | 出来事・内容 | 主要人物 |
|---|---|---|---|
| 秦(しん) | 紀元前221年〜 | 始皇帝による初の中華統一。法治主義による過酷な統治で各地に反乱が勃発。 | 始皇帝、李斯 |
| 楚漢戦争 | 紀元前206年〜 | 【ここが項羽と劉邦】 秦の滅亡後、次代の覇権を巡る項羽と劉邦の決戦。劉邦が勝利し漢を建国。 | 項羽、劉邦、韓信 |
| 前漢 | 紀元前202年〜 | 劉邦(高祖)が建てた国。都は長安。武帝の時代に領土最大となり全盛期を迎える。シルクロードが開通。 | 劉邦、武帝 |
| 新(しん) | 紀元8年〜 | 外戚の王莽(おうもう)が漢を乗っ取り建国するが、理想主義的な政治の失敗で短期間で滅亡。 | 王莽 |
| 後漢 | 紀元25年〜 | 光武帝(劉秀)が漢王朝を復興させる。都を洛陽に移す。製紙法の改良や仏教伝来など文化が発展。 | 光武帝 |
| 三国時代 | 184年〜 | 【ここが三国志】 黄巾の乱を契機に漢が衰退。董卓の専横を経て群雄割拠へ。魏・呉・蜀の三つ巴。 | 曹操、劉備、孫権 |
この表を見るとわかる通り、項羽と劉邦の物語(楚漢戦争)が終わった後に、「前漢」という約200年続く安定期が訪れます。
その後、一度「新」という国に取って代わられますが、すぐに「後漢」として復活し、さらに約200年続きます。
そこで、三国志の英雄たちは、この「後漢」の末期に登場するのです。


つまり、三国志の曹操や劉備たちが生きた世界は、劉邦が作った「漢」というシステムが400年かけて熟成した結果になります。
そして、このシステムが制度疲労を起こして崩れ去ろうとしている黄昏の時代だったのです。
劉邦が種をまき、長い時間をかけて大樹となった漢帝国が、最後に燃え尽きる時の輝きこそが三国志の魅力と言えるかもしれませんね。
始皇帝と項羽と劉邦の違いや関係を解説
時系列を語る上で欠かせないのが、中国初の間皇帝である「始皇帝」の存在です。
項羽と劉邦の物語は、まさにこの始皇帝が作り上げた「秦(しん)」という帝国が崩壊するところから始まります。
つまり、始皇帝がいなければ、項羽も劉邦も歴史の表舞台に出ることはなかったでしょう。
そして、始皇帝が中華を統一し、絶大な権力を振るっていた頃、項羽も劉邦もまだ無名の存在でした。
項羽は、秦に滅ぼされた「楚(そ)」という国の将軍の家系に生まれ、亡国の恨みを抱きながら剣術の修行に励んでいました。
その一方で、劉邦は田舎の農村で酒と女が好きな不良中年として、気ままな生活を送っていました。
しかし、紀元前210年に始皇帝が崩御し、二世皇帝の時代になると状況が一変します。
過酷な労働や重税に耐えかねた民衆が「陳勝・呉広の乱」を起こすと、それに呼応して項羽と劉邦も挙兵しました。
始皇帝という「絶対的な重し」が取れたことで、各地の英雄たちが一斉に飛び出し、次の王座を狙ったのです。
三者の関係性メモ
- 始皇帝:古い戦国時代を終わらせた絶対君主。彼が生きている間は、誰も逆らえなかった。
- 項羽:秦に国を滅ぼされたエリート貴族。始皇帝の行幸を見て「彼に取って代わってやる」と野心を燃やした。
- 劉邦:庶民出身の叩き上げ。始皇帝の行幸を見て「男として生まれたからにはああなりたいものだ」と憧れた。
このように、始皇帝へのスタンスも対照的でした。
始皇帝が作った統一国家のシステムを、武力で完全に破壊して古い封建制に戻そうとしたのが項羽です。
これとは反対に、始皇帝のシステムの良い部分(郡県制など)を受け継ぎつつ、よりマイルドな形で完成させようとしたのが劉邦でした。
結果として劉邦が勝利したことで、中国は「漢」という長期安定政権へと移行していくことになるのです。
劉備は劉邦の子孫?2つの時代の深いつながり


三国志の主役の一人であり、蜀(しょく)の皇帝となる劉備(りゅうび)玄徳。
「劉邦(りゅうほう)」と名前が似ていると思ったことはありませんか?
実はこれ、単なる偶然ではありません。この名前の一致には、物語の根幹に関わる重要な意味が隠されていますよ。
劉備は、三国志の作中で「自分は漢の中山靖王(ちゅうざんせいおう)・劉勝(りゅうしょう)の末裔である」と名乗っています。
中山靖王というのは、前漢の第6代皇帝である景帝の息子であり、初代皇帝・劉邦のひ孫にあたる人物です。
つまり、劉備は「劉邦の血を引く正統な皇族の子孫」という立場で世に出たのです。
ただし、ここには少し裏話があります。
この中山靖王という人物は、非常に子沢山で有名で、なんと120人以上の子がいたと言われています。
それだけ子孫がいれば、400年後の三国志の時代には、中国全土に何万人もの「自称・末裔」がいたとしても不思議ではありませんよね?
ちなみに、劉備が本当に直系の子孫だったかどうかは歴史的な議論がありますよ。
しかし、重要なのは「当時の人々がそれを信じ、彼を支持した」という事実なんです。
また、三国志の物語において、劉備が「漢王朝の復興」をスローガンに掲げていたのは、単なる権力欲ではありません。
ご先祖様である劉邦が苦労して作り、代々受け継がれてきた「漢」という国を、逆賊である曹操(と劉備は呼んでいました)から守ろうとしたからです。
この「血のつながり」と「王朝を守る使命感」を知ると、劉備がなぜあれほどまでに苦難に耐え、何度負けても立ち上がったのか、その執念の源泉がより深く理解できると思いますよ。


漢という名称の由来や歴史的背景の豆知識
私たちが普段、何気なく使っている「漢字」や「漢民族」、「漢方薬」といった言葉。
この「漢」という文字も、すべて劉邦が建国した「漢王朝」に由来しています。
では、なぜ劉邦の国は「漢」と呼ばれるようになったのでしょうか?
そのきっかけは、項羽によって劉邦が最初に左遷された土地の名前にあります。
秦を滅ぼした後、最大の功労者であった劉邦は、項羽の策略によって僻地である山奥の「漢中(かんちゅう)」という場所に追いやられました。
そして、その地を流れる「漢水(かんすい)」という川の名前にちなんで「漢王」という称号を与えられたのです。
ちなみに、本来であればこれは左遷人事であり、屈辱的な称号でした。
しかし、劉邦はこの漢中を基盤にして力を蓄え、ついには項羽を破って天下を統一します。
その結果、本来は一地方の川の名前に過ぎなかった「漢」が、そのまま天下統一王朝の国号となり、やがて中国そのものや、中国の文化を象徴する言葉へと昇華していきました。
そこで、もし劉邦が天下を取らない、あるいは項羽が勝って「楚」の国を作っていれば、私たちは今頃「漢字」ではなく「楚字」や「秦字」と呼んでいたかもしれませんね。
また、この「漢」という名称の定着については、明治大学の加藤徹教授が詳しい解説をされていますよ。
「漢」が単なる王朝名を超えて、周辺民族から見た「中国そのもの」を指す言葉(エスニック・ネーム)に変容していった過程は非常に興味深いです。
三国志の時代、曹操も劉備も孫権も、この偉大な「漢」というブランドの影響力の下で戦っていました。
彼らは全員、表向きは「漢の臣下」であることを誇りにしており、それほどまでに劉邦が残した「漢」の影響は絶対的だったのです。
建国と滅亡という関係性とストーリーの違い
二つの物語は、時代が違うだけでなく、ストーリーの構造自体が「真逆」である点も非常に興味深い比較ポイントです。
そこで、ここでは、それぞれの作品が持つ「物語としての味付け」の違いを見てみましょう。
まず、項羽と劉邦ですが、これは「創業(ビルド)」の物語です。
腐敗しきった秦帝国を倒し、瓦礫の山の中から新しい秩序を作り上げていく、エネルギッシュなサクセスストーリーと言えます。
そして、主人公はチャレンジャーであり、物語のベクトルは常に「未来」や「希望」に向かっています。
最後は劉邦という一人の勝者が決まり、新しい時代の幕開けとしてハッピーエンド(敗者にとっては悲劇ですが、歴史的には解決)で終わります。
次に、三国志ですが、「守成」と「崩壊(スクラップ)」の物語です。
400年続いた巨大なシステムが制度疲労を起こし、誰にも止められないままガラガラと崩れ去っていく過程を描いています。
劉備や孔明たちがどれほど「漢の復興」を願って努力しても、時代の大きな流れは新しい形へと向かっており、逆らうことは出来なかったのです。
また、ここには「滅びの美学」や「諸行無常」といった、哀愁漂うドラマがあります。
昔から「創業は易く守成は難し(国を作るよりも、それを維持するほうが難しい)」と言われますが、まさにその通りです。
「作る難しさと情熱」を描いたのが項羽と劉邦、「守る難しさと悲哀」を描いたのが三国志。
こう捉えると、それぞれの作品が持つテーマ性の違いが浮き彫りになり、どちらの作品も違った角度から楽しめるようになるのではないでしょうか。



項羽と劉邦の時代と三国志には約400年の隔たりがあり、これは巨大な「漢王朝」が生まれ、成熟し、崩壊するまでの壮大なライフサイクルそのものです。この「創業」と「終焉」という対比構造を理解すれば、なぜ三国志の英雄たちが「漢」というブランドに固執したのか、その歴史的な重みと悲哀がより深く見えてくるでしょう。
項羽と劉邦と三国志の時系列以外の違いを比較


時系列の違いがわかったところで、次は作品としての「中身」の違いに注目してみましょう。
登場人物のキャラクター性や物語の面白さという点でも、この二つには際立った特徴があります。
どちらから読もうか迷っている方は、ぜひ参考にしてみてください。
似ている英傑である曹操と項羽の共通点
三国志の覇王「曹操(そうそう)」と、楚漢戦争の覇王「項羽(こうう)」。
この二人は時代を超えてよく比較されますが、私の見解では、彼らは「圧倒的な能力を持ったカリスマ」という点で非常によく似ていますね。
- 軍事の天才:どちらも戦場では無類の強さを発揮しました。自ら軍を率いて、数的不利を覆す勝利を何度も収めています。
- 決断力:迷いなく行動し、時には虐殺や粛清といった冷酷な判断も下せます。
- 覇道:徳や優しさではなく、力と法によって世の中を従わせようとするスタイルです。
しかし、この両者にも決定的な違いがありました。
曹操は詩を愛し、政治家としても超一流であり、敵であっても才能があれば登用するという柔軟性を持っていました。
その一方、項羽は純粋な武人としての側面が強く、政治的な駆け引きは苦手で、最後まで「楚の貴族」としてのプライドに固執しました。
そこで、興味深いのは、曹操が項羽を反面教師にしていたフシがあることです。
曹操は歴史書を愛読していましたから、項羽がなぜ強かったのに負けたのか(ワンマンすぎて孤立したことなど)を研究していたはずです。
三国志を読む際は、曹操の行動の中に「項羽の失敗を繰り返さないぞ」という意識を探してみるのも、通な楽しみ方と言えるでしょう。
期間や展開の違いからどっちが面白いか比較
「項羽と劉邦と三国志、どっちが面白いの?」という質問をよく見受けます。
ただ、これは読者が求めている「物語のタイプ」によって答えが完全に分かれるんですね。
スピード感と完結感を求めるなら「項羽と劉邦」が断然おすすめです。
物語の期間は、秦の始皇帝の死から漢の建国まで、わずか5年〜7年ほど。
そして、登場人物も、項羽、劉邦、韓信、張良、蕭何(しょうか)など、主要なキャストが固定されており、覚えやすいです。
弱小だった劉邦が、最強のライバル項羽を倒すという「大逆転劇」が一本の太いストーリーとして貫かれているため、中だるみせず一気に読めます。
壮大な群像劇と複雑なドラマが好きなら「三国志」であり、その期間は約100年にも及びます。
親の世代から子の世代、孫の世代へと物語が継承されていき、昨日の敵が今日の友になるような複雑な外交戦や、裏切り、謀略が渦巻きます。
また、登場人物も数百人に及び、それぞれの場所でそれぞれのドラマが同時進行する「大河ドラマ」的な面白さは圧倒的です。
おすすめの選び方
- スカッとしたい・週末で読み切りたい派 ➡ 項羽と劉邦
- じっくり浸りたい・戦略や政治劇、人間関係の機微が好き派 ➡ 三国志
中国史最強は誰か項羽と呂布の武力を考察


歴史好き、特に男子なら誰もが一度は妄想する「最強談義」。
中国史上の個人の武力において、トップ2として常に名前が挙がるのが、項羽と三国志の「呂布(りょふ)」です。
そこで、もしこの二人が戦ったらどうなるのでしょうか?
三国志の中で、呂布は「人中の呂布、馬中の赤兎」と謳われていますよね?
虎牢関の戦いでは劉備・関羽・張飛の三人の豪傑を同時に相手にするほどのデタラメな強さを見せました。
そして、愛馬・赤兎馬に乗り、方天画戟を振るう姿は、まさに戦神です。


しかし、中国史ファンの間では「項羽こそが最強」という説が根強いです。
項羽は「覇王」と呼ばれ、史記の記述によれば、たった一人で数百人を斬り伏せたという逸話があります。
また、重さ数百キロの鼎(かなえ)を片手で持ち上げたという伝説、さらには戦場で大喝しただけで敵兵が逃げ出し、馬が怯えて動けなくなったというエピソードまで残っています。
呂布は「最強の武将」ですが、項羽はもはや人間を超越した「魔王」や「災害」のような存在として描かれることが多いですね。
ちなみに、私個人の見解としては、一騎討ちの純粋なスキルならいい勝負をするかもしれませんね。
ただし、軍全体を率いて敵を粉砕する「突破力」や、敵に与える「絶望感」においては、項羽に軍配が上がるかなと思いますよ。
さて、皆さんはどう思いますか?
張良と孔明など天才軍師の活躍にも注目
武将たちの武力だけでなく、彼らを頭脳で支えた「軍師」の対比もまた、この二つの物語の大きな魅力です。
項羽と劉邦では「張良(ちょうりょう)」、三国志では「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」がその代表格でしょう。
まず、張良ですが、劉邦の参謀として数々の献策を行い、漢王朝の建国に決定的な役割を果たしました。
彼の最大の特徴は、天下統一が成った後の「引き際の美しさ」ですね。
権力に固執せず、さっと引退して仙人のように隠居生活を送ったことで、粛清の嵐が吹き荒れた漢初において天寿を全うしました。
これに対して孔明は、劉備亡き後の蜀という国を一身に背負い、滅びゆく運命に抗い続けた「悲劇の宰相」です。
彼は政治、軍事、発明(連弩や木牛流馬など)と万能の天才でしたが、その才能の全てを主君への忠義と国の維持に捧げ、最後は五丈原の戦場で過労死のような形で倒れました。
「成功して美しく去る張良」と「失敗を知りつつ泥にまみれて殉じる孔明」。
どちらの生き様に心を動かされるかで、あなたの人生観が見えてくるかもしれませんね。
ちなみに、私は若い頃は張良のスマートさに憧れましたが、歳を重ねるにつれて、孔明の愚直なまでの誠実さに涙が出るようになりました。





時系列だけでなく、物語の構造も「成功への疾走」と「滅びの美学」という正反対のテーマを持っていますね。項羽と曹操の類似性や、個の武力と組織戦という戦い方の違いも興味深い点です。爽快な逆転劇か、重厚な群像劇か。それぞれの時代が持つ「味」の違いを知ることで、歴史エンタメとしての楽しみ方が格段に広がるはずですよ。
よくある質問(FAQ)
- キングダムと項羽と劉邦の時系列は?
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大人気漫画『キングダム』は、秦の始皇帝(政)と信(李信)が中華統一を成し遂げるまでを描いています。その『キングダム』の最終回の直後、つまり統一後の秦が崩壊するところから始まるのが『項羽と劉邦』です。キングダムの登場人物たちが苦労して作った国が、次の世代でどうなってしまうのかを知ることができるので、続けて読むと感慨深いものがあります。
- 劉邦と三国志の劉備は子孫の関係?
-
はい、前述の通り劉備は劉邦の末裔(中山靖王の子孫)を自称しており、物語上もその正統性が重要なテーマになっています。ただし、400年も経っているので血縁は非常に薄くなっており、劉備自身はむしろ作りや筵(むしろ)を売る貧しい生活からスタートしています。「血統」というブランドだけを武器に成り上がったわけです。
- 項羽と劉邦と三国志の間の歴史は何?
-
「前漢」と「後漢」という時代です。この間には、武帝による対外戦争での領土拡大や、シルクロードを通じた西方との交易、儒教の国教化など、中国文化の基盤が作られました。また、途中で王莽による簒奪がありましたが、光武帝によって修復されています。この400年間の平和と繁栄があったからこそ、三国志の動乱が際立つのです。
- 項羽と呂布はどちらが最強の武将?
-
非常に難しい問いですが、戦術的な指揮能力や、個人の武勇が戦局そのものをひっくり返す影響力を考えると、「覇王」である項羽を上とする見方が一般的です。呂布は最強の戦士でしたが、項羽は戦士であり将軍であり王でもありました。
- 歴史を学ぶならどっちがおすすめ?
-
中国史の基礎的な流れを知りたいなら、まずは「項羽と劉邦」から入るのが時系列順でおすすめです。漢王朝の成り立ちや、なぜ「漢」が重要なのかを知ってから三国志を読むと、劉備の「漢室復興」という悲願が、単なるスローガンではなく、400年の歴史の重みを背負ったものであることが理解でき、物語の解像度が上がります。
項羽と劉邦と三国志の時系列のまとめ
今回は「項羽と劉邦」と「三国志」の時系列や関係性について、かなり深掘りして解説してきました。
長くなりましたが、最後に要点をもう一度おさらいしておきましょう。
まず、項羽と劉邦が活躍したのは紀元前200年頃で、秦の跡を継いで漢王朝を「作った(創業)」時代。
それから約400年後、紀元後200年頃にその漢王朝が「崩れていく(守成の失敗)」過程を描いたのが三国志でした。
この二つの物語は、いわば長大な中国史における「第1部:希望の夜明け」と「最終章:黄昏の英雄たち」のような関係にありますね。
そして、「どっちが先?」という単純な疑問からスタートしましたが、その背景には400年という壮大な時間の流れと、数え切れないほどの人々のドラマが詰まっています。
時系列のつながりを知った今、それぞれの物語にある「創業の勢い」や「滅びの美学」といったテーマの違いにも注目しながら、ぜひ両方の作品を楽しんでみて下さいね。
項羽の無念が曹操に乗り移っているように見えたり、劉邦の作った世界を劉備が必死に守ろうとする姿に胸を打たれたりと。。。
項羽と劉邦の時代から400年の時を超えて、英雄たちの想いが響き合う様子を感じ取れるはずです。



項羽と劉邦が活躍した漢の創業期と、そこから約400年後に訪れる三国志の滅亡期。この二つの時代は一本の歴史でつながっています。劉邦が築いた平和がなぜ崩れ、劉備たちが何を守ろうとしたのか?時系列という縦糸を知ることで、英雄たちのドラマはより深く鮮やかに見えてくるはずですよ。
