三国志には数多くの武将が登場します。
武力に優れた武将、知力を備えた武将など、各武将にはそれぞれ特徴があります。
そこで、当記事では三国志の主な武将一覧について解説します。
三国志の最強の武将たち

ここでは、三国志における最強武将について解説します。
呂布:無双の豪傑
呂布は、「人中においては呂布、馬中においては赤兎馬」と讃えられている、三国志最強の武将として知られています。
彼の武勇は並ぶ者がなく、一騎当千の活躍を見せた人物です。
特に、虎牢関の戦いでは、三英傑(劉備、関羽、張飛)を相手に圧倒的な力で戦い抜きました。
ただ、その豪傑ぶりは裏を返せば裏切りや利己的な行動に繋がっていきました。
そして、最終的には曹操によって捕らえられ処刑されるという悲劇的な末路を迎えています。
そんな呂布ですが、三国志武将一覧においてトップクラスの知名度を誇り、後世に語り継がれています。
関羽:忠義の化身
関羽は、忠義の象徴として、現代において三国志の中で最も崇拝されている武将の一人です。
劉備と張飛との義兄弟の契りを結び、黄巾の乱など多くの戦いで功績を残しました。
その武勇はもちろん、中国史上最高の英雄の一人とも称されるほど、その知名度は抜群です。
特に、長坂の戦いでの奮闘や五関六将を突破した逸話は、今での語り継がれています。
そして、彼は後に「関帝」として神格化され、武神として庶民の信仰を集めています。
張飛:呂布と並ぶ猛将
張飛は、その剛勇と豪放な性格で知られ、義兄弟である劉備と関羽を助け三国志の歴史に名を刻んだ武将です。
特に長坂の戦いでは、一人で橋を守り曹操軍を退けた逸話はとても有名です。
その豪快な振る舞いから時には短気さが災いして、最期は部下の手により命を落とします。
ただ、その勇敢さと強烈な印象は、多くの人々に語り継がれています。
呂布に匹敵すると称される武勇を持ちつつも、親しみやすいキャラクターが張飛の魅力を一層引き立てています。
馬超:西涼の勇姿
馬超は、「錦馬超」の異名を持ち、西涼地方でその名を轟かせた武将です。
その騎馬戦の技術と剣術の武勇は敵を圧倒し、若くして曹操軍を恐れさせた逸話が残されています。
当初は、曹操に反旗を翻し連戦で勢いを保ちましたが、その後は劉備に仕える道を選びます。
蜀の五虎大将軍の一人として数えられる彼は、武勇だけでなく信念を貫く姿勢も多くの人々に感動を与えました。
趙雲:冷静沈着な武の模範
趙雲は、冷静沈着な性格と高い判断力から「蜀の虎」と称され、三国志武将においても特筆すべき英雄です。
最も有名なのは長坂の戦いで、劉備の嫡子である劉禅を抱えながら敵陣を切り抜けたという逸話が残っています。
その勇気と知略は、蜀の全盛期を支えたと言っても過言ではありません。
また、最後まで忠実に主君に仕えた姿勢は、数多くの人々に模範とされ続けています。
武力と知力を兼ね備えた理想の武将として今も高く評価されています。

裏切りの呂布は良く聞きますよね?



裏切りの連続で生きてきた呂布は、最後配下の裏切りによって曹操に捕らえられました。
智勇を兼ね備えた武将たち
ここでは、知力を備えた主な武将について解説します。
諸葛孔明:天才軍師
諸葛亮(字は孔明)は、三国志における天才軍師として名を馳せた人物です。
劉備の三顧の礼によって迎えられた諸葛亮は、「天下三分の計」を提案して赤壁の戦いにおける勝利を導きました。
蜀漢建国後は丞相として公正な政治を行い、その知略と人徳によって国内外から尊敬されました。
また、戦場においても冷静で的確な判断力を発揮し、蜀漢を支え続けました。
諸葛孔明の名は、三国志武将一覧の中でもかなり際立っています。
周瑜:若き呉のエリート
周瑜(字は公瑾)は、孫権の側近として呉の未来を築き上げた若きエリートです。
彼の名が最も輝いたのは、何といっても赤壁の戦いと言えます。
曹操の大軍を火攻めで壊滅させたこの戦いは、周瑜の緻密な計略と的確な指揮によるものでした。
その美男子ぶりと優れた才能は、多くの人々から羨望を集め、三国志の中でも特に印象深い武将と言えます。
曹操:智勇兼備の武将
曹操(字は孟徳)は、三国志において最も支配力を誇った武将であり、魏の建国者です。
彼は、武勇と知略を兼ね備えており、大軍を率いて広大な領土を支配しました。
特に、黄巾の乱の平定や北方勢力の鎮圧など、数多くの戦績を残しています。
また、「乱世の奸雄」とも称される冷徹さを持ちながら、文人たちを支援し文化をも発展させました。
この多面性が、曹操の魅力の一つであり、彼なしでは三国志の歴史を語ることは出来ません。
司馬懿:冷酷さと智謀を備えた知将
司馬懿(字は仲達)は、魏に仕えた武将の中でも、智謀の代名詞とも言える人物です。
冷酷な一面を持ちながらも、諸葛亮の軍略に対抗し、魏の防衛線を守り抜いたことで有名です。
彼は、後に自身の一族による晋の建国の礎を築きますが、その道のりにおいても緻密な戦略を練りました。
その用意周到さと深い読みは、三国志好きには欠かせない武将の一人です。
魯粛:赤壁成功の影の立役者
魯粛(字は子敬)は、呉の軍師として孫権に仕えた名将です。
彼は、赤壁の戦いの際、孫権と劉備の同盟を成功に導いたキーパーソンの一人であり、影の立役者といっても過言ではありません。
人を引きつける誠実さや、冷静な状況判断力を持つ魯粛は、謀略を用いながらも平和を望む姿勢を崩しませんでした。
彼の功績は、華々しい戦歴に隠れがちですが、その器量は後世でも高く評価されています。



諸葛孔明の天下三分の計は三国志の中でもかなり有名ですよね?



赤壁の戦いは周瑜の功績が大きいと言われているけど、実は諸葛孔明や魯粛の功績も大きかったのです。
天下を切り開いた武将たち


ここでは、その力で天下を切り開いた武将について解説します。
孫策:呉の若きカリスマ
孫策は、三国志における呉の礎を築いた若きカリスマとして知られています。
彼は、大きな度量を持つ性格と軍事的才能で江東を平定し、後の呉の建設に大きな役割を果たしました。
そのため、「呉の太陽」と称されることもあるほど、彼の存在感は絶大なものでした。
彼の従兄弟であり、後に呉の皇帝となる孫権への信頼も厚く、孫策の遺志が孫権の治世を決定づけたといっても過言ではありません。
劉備:人望で天下を目指した武将
劉備は、後漢末期から三国時代において蜀漢を建国した中心人物として有名です。
正義感と責任感あふれる性格は、多くの人々の心を掴みました。
その魅力や性格によって、関羽や張飛といった名将たちを始め、諸葛亮などの優秀な人物を引き寄せました。
特に、黄巾の乱では関羽や張飛と義兄弟の契りを結び、後の蜀建国への礎となりました。
義と誠を掲げ、民衆と官僚の支持を得ながら組織を牽引した劉備は、三国志武将一覧の中でも特に人望で天下を目指した人物と言えます。
袁紹:四世三公の名門
袁紹は、四世三公という名門の家柄に生まれ、最初は後漢の名臣として仕えました。
彼の卓越した地位と勢力は、反董卓連合の盟主に選ばれるほどのもので、群雄割拠の時代に多大な影響を与えました。
ただ、その一方で優柔不断な性格が災いし、官渡の戦いでは曹操に敗北を喫しました。
この戦いを境にその勢力を衰退させた袁紹ですが、その豪華な軍備と勢力は長らく三国志において一大勢力を築きました。
孫権:呉の建国者であり強靭な意志の持ち主
孫権は孫策の後を継ぎ、呉の初代皇帝として三国時代に君臨した君主です。
兄孫策の死後に家督を引き継ぎ、若いながらも軍事と政治の両方で優れた手腕を発揮しました。
特に、赤壁の戦いでは諸葛亮と共に曹操に立ち向かい、大きな勝利を収めています。
この戦いは、三国志の中でも特に有名な出来事であり、孫権の冷静な判断力が光りました。
董卓:暴虐を極めた乱世の象徴
董卓は、三国志の中で最も暴虐な行動で知られており、後漢末期に宮廷を掌握し、専横を極めた人物として有名です。
その横暴な性格と豪華な暮らしぶりから、後に豪族たちの怒りを買いました。
その結果、最終的には王允や呂布による謀さつへと繋がっています。
その一方で、彼の行動が後漢の崩壊を加速し、三国時代が始まるきっかけを作ったことは間違いありません。
董卓の存在は、三国志において乱世の象徴として後世に語り継がれています。



董卓は三国志の中でも悪名高いですよね?



董卓は宮廷で自分勝手にふるまった結果、王允の策略で貂蝉を巡り呂布と対立して最期を迎えたのです。
記憶に残る個性派武将たち
ここでは、三国志における個性派な武将について解説します。
黄忠:老いても豪傑で弓術の達人
黄忠は、蜀漢の五虎大将軍の一人として知られる武将です。
その最大の特徴は、「老いてもなお豪傑」と称されたその実力にあります。
弓の名手であり、その腕前は百発百中とまで評され、特に漢中攻略戦で活躍しています。
彼の晩年は、三国志武将の中でも最も勇敢で熟練した戦いぶりを見せた一人と言えます。
高齢ながら常に前線で奮闘し、劉備から絶大な信頼を得た武将です。
甘寧:海賊から名を上げた呉の武将
甘寧は、もともと海賊だったという異色の経歴を持つ呉の武将です。
その荒々しい過去にもかかわらず、孫権に仕えてからはその勇敢さで頭角を現しました。
特に、荊州の戦いでの奮闘は、三国志武将一覧の中でも異彩を放つエピソードです。
その気概と忠誠心は、孫権からも高く評価されており、三国志武将の中でも目立つ存在となっています。
魏延:蜀の異端的な武将
魏延は、蜀漢の武将でありながら「異端者」とも呼ばれるほど独自の行動や戦略を好んだ人物です。
諸葛亮の下で数々の戦功を挙げており、彼の軍才は非常に優れていました。
ただ、その個性ゆえに他の武将からは疎まれることも多かったようです。
それでも、彼の大胆な策略や戦略眼は、後世においても評価されています。
徐晃:忠義を尽くし曹操に仕えた名将
徐晃は、魏の将軍として曹操に仕えた名将です。
その忠義と冷静さで知られ、曹操の軍を支える重要な役割を果たしました。
彼の戦いは常に堅実であり、敵の攻撃を受け流しながら冷静に反撃する戦術を得意としていました。
特に、荊州攻略戦での戦術は、三国志武将において彼の名を歴史に刻む大きな理由の一つとなっています。
典韋:曹操を護った最強の護衛武将
典韋は、曹操に仕えた護衛武将としてとくに有名な武将です。
その怪力と忠義は、数多くの武将が登場する三国志の中でも突出しています。
彼は常に曹操の側に仕えており、その命を守るために命を賭けました。
特に、宛城の戦いでは単身で敵を引きつけ、最後まで曹操を守り抜こうと奮戦した姿が勇ましく、後世に語り継がれています。
その壮絶な最期は、三国志武将の中でも特別なエピソードとして、数多くの人の記憶に残っています。



典韋って、最後は全身に弓矢を浴びて立ったまま最期を迎えたんですよね?



そうそう、典韋は忠義の将で最後まで曹操を護るために奮闘したのです。
まとめ
三国志では、1,000名を超える武将が登場しています。
武力や知力で戦場を駆け抜けた武将はもちろん、配下を率いて天下を狙った群雄、さらには個性的な武将までその特徴は様々です。
その中でも、呂布や董卓、関羽や張飛、曹操に劉備、諸葛孔明などは、有名であり三国志には欠かせない武将となっています。



三国志には、武力や知力自慢、個性的な武将など色々な人物が登場しますよ。