歴史探偵女劉備の性格がヤバいって本当?



劉備は生涯で何回妻子を捨てたの?
この記事では、こんな疑問にお答えしますね。
- 演義と正史の性格の違い
- ヤクザのような気性の激しさ
- 妻子を捨てる冷徹な判断
- 現代に通じる弱者の生存戦略
- 本当の魅力を知ることができる


- 歴史研究20年の歴史大好き女
- 今まで読んだ歴史書籍は日本史&世界史で200冊以上
- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き


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- 日本史&中国史が得意
- 特に中国の春秋戦国時代や三国時代、日本の戦国時代が好き
三国志の英雄である劉備の性格について、小説と正史では描き方が大きく違うことをご存じでしょうか?
物語では仁徳の君子ですが、歴史書を読み解くと短気で性格が悪いと言われる一面や、妻子を置いて逃げるようなクズと呼ばれるエピソードも出てきます。
そのため、なぜ人気があるのか不思議に思う人もいるかもしれません。
そこで、この記事では、曹操とは対照的なリーダーとしての資質や、涙を武器にする計算高さ、そして現代社会にも通じる処世術まで、その実像に迫りますよ。
三国志の劉備の性格と実像を徹底解剖


劉備玄徳といえば「徳の人」というイメージが強いですが、それはあくまで物語の中での話。
実際の彼は、乱世を生き抜くために清濁併せ呑む、非常に人間臭い人物でした。
そこで、ここでは、虚構と史実のギャップを整理していきましょう。
演義の劉備が持つ仁徳と魅力
小説『三国志演義』における劉備は、まさに儒教道徳を体現したような聖人君子として描かれています。
これは、ライバルである曹操が「覇道(武力と権謀による支配)」の象徴として描かれているのに対し、劉備を「王道(仁義と徳による統治)」の象徴として対比させるための文学的な演出です。
そして、具体的には、以下のような特徴が徹底して強調されています。
- 民への慈悲:敵に追われる絶体絶命の逃避行の際も、「民を見捨てるくらいなら死んだほうがましだ」と言い放ち、足手まといになる民衆を守りながら行軍する姿。
- 徹底した礼節:当時47歳の歴戦の将軍でありながら、27歳の無名の青年だった諸葛亮に対して、三度も足を運び頭を下げる「三顧の礼」を尽くす謙虚さ。
- 無欲な姿勢:陶謙や劉表といった有力者から領土や権力を譲られそうになっても、「私にはその資格がない」と道義を重んじて頑なに固辞する姿勢。
このように、演義の劉備は「徳」だけで人を引きつけるカリスマであり、読者が感情移入しやすい理想的なリーダー像として完成されています。
つまり、彼が戦いに負けても読者が応援したくなるのは、この「道徳的な正しさ」が根底にあるからなんですね。


史実の性格は悪い?短気な素顔
一方で、歴史書である正史『三国志』を詳しく紐解いていくと、劉備の意外な一面、むしろ「性格が悪い」とさえ言われかねない荒々しい素顔が見えてきますよ。
特に、若い頃の彼は、聖人君子というよりは、気性の荒い暴れん坊でした。
そして、その性格を象徴する有名なエピソードに「督郵(とくゆう)鞭打ち事件」があります。
小説の演義では、賄賂を要求して劉備を侮辱した悪徳役人に腹を立て、部下の張飛が鞭打ったことになっていますよね?
この時、劉備はそれを止めに入り、職を捨てて逃げるという役回りです。
しかし、史実は全く逆なのです。
実際には、面会を拒否されたことに腹を立てた劉備本人が、督郵を縛り上げて杖で200回も叩きのめし、最後には役人の印綬(身分証)をその首にぶら下げて逃亡しています。
もっとも、彼はもともと読書を好まず、犬や馬、音楽や美服を好む「遊侠(ゆうきょう)」と呼ばれる不良少年の親分肌でした。
そのため、地元の若者たちを引き連れていた「ヤクザの親分」的な気質こそが、関羽や張飛といった荒くれ者を心服させた真の要因だったと考えられます。


劉備はなぜ人気?判官贔屓の謎


では、なぜ史実ではそんなに荒っぽく、計算高い側面もある劉備が、これほどまでに長く人々に愛され、人気があるのでしょうか?
それは、日本人の感性にも深く通じる「判官贔屓(ほうがんびいき)」の心理が強く働いているからだと私は分析しています。
判官贔屓とは?
源義経(判官)のように、強大な権力に立ち向かう弱者や、志半ばで倒れた不遇な英雄に対して同情し、応援したくなる心理のこと。
劉備は、名門貴族の生まれである曹操や、父兄から強固な地盤を受け継いだ孫権とは全くスタートラインが異なります。
「わらじ売り」という社会的底辺から身を起こし、40代後半になるまで自分の城さえ持てず、あちこちを流浪していました。
「金も土地もコネもない。あるのは漢室復興という『大義』と『志』だけ」
この、持たざる者が巨大な敵に挑み、何度も叩きのめされては立ち上がる姿は、普遍的な「負け組の星」としての輝きを放っています。
つまり、完璧なエリートではないからこそ、私たちは自分の人生を彼に重ね合わせ、その成功を願ってしまうのです。
涙を武器にする計算高い性格
よく「劉備の天下は泣いて取ったようなものだ」と揶揄されることがあります。
確かに、演義での彼はことあるごとに泣きますが、史実や政治的な文脈で見ると、彼の涙は単なる感情の爆発ではなく、極めて高度な政治的パフォーマンスとしての側面がありました。
つまり、彼は論理的に不利な状況や、相手に無理な要求を通したい時、ここぞという場面で涙を流したのです。
- 呉の魯粛から荊州の返還を迫られた際、諸葛亮の入れ知恵で顔を覆って泣き崩れ、答えをうやむやにして時間を稼いだ。
- 部下が失敗した際や、別れの場面で、相手の手を取り涙ながらに感謝や謝罪を伝えることで、強烈な忠誠心を植え付けた。
大の男が、しかも君主が人前で涙を見せる。
しかし、これにより、相手は「劉備殿をここまで追い詰めてしまった」という罪悪感を抱き、論理的な交渉ができなくなってしまいます。
これは、弱者が強者と渡り合い、生き残るために編み出した、ある種「計算高い生存戦略」だったと言えるでしょう。



劉備の性格は演義の「聖人」と史実の「親分肌」という二面性が魅力ですね。短気で計算高い一面も、乱世を生き抜くための必然でした。清濁併せ呑む人間臭さと、判官贔屓を誘う弱者の戦略こそが、2000年愛され続ける理由なのです。
三国志の劉備の性格に見るリーダー論


劉備が、流浪の身から最終的に皇帝にまで登り詰められたのは、彼独自のリーダーシップがあったからです。
それでは、現代のビジネスや組織運営にも通じる、その特異なスタイルを比較分析してみましょう。
曹操と真逆?冷徹な判断力
リーダーとしての劉備を語る上で、最大のライバルである曹操との比較は避けて通れません。
曹操が「才能さえあれば、過去の過ちや品行は問わない」という徹底した実力主義(唯才主義)をとったのに対し、劉備は「情と信頼」をベースにした、まるで家族のような組織を作りました。
| 比較項目 | 曹操(魏) | 劉備(蜀) |
|---|---|---|
| 人材登用 | 唯才主義 能力があれば敵でも抜擢する。 | 好漢重視 志を同じくし、信頼できる人物。 |
| 決断スタイル | トップダウン 天才的な頭脳で即断即決。 | ボトムアップ 孔明らに相談し権限を委任。 |
| 冷徹さ | 不要な人材や脅威は容赦なく排除。 | 大義のためなら恩人も裏切る。 |
しかし、劉備が単なる「情の人」だったかというと、決してそうではありません。
特に、同族である劉璋から「益州(今の四川省)」を奪い取った経緯は、彼の冷徹さを物語っていますね。
最初は「外敵から守るために助けに来た」と言って軍を入国させ、民心を掴んでから、最終的には劉璋を攻撃して国を乗っ取りました。
もっとも、これは儒教的な「信義」には反しますが、「漢室復興」という大目的のためには拠点が必要という「実利」を優先した結果です。
「大義のためには小義(個人的な恩義)を捨てる」というマキャベリズム的な判断ができる点において、彼もまた乱世を生きる冷徹な梟雄だったのです。
妻を捨てるクズなエピソード
劉備の人間性を現代的な視点で見たとき、最も批判されやすいのが、家族に対する扱い、特に妻子への冷淡さです。
実は彼は、戦況が悪化して逃げる際、足手まといになる妻子を何度も敵中に置き去りにしています。
- 196年、呂布に下邳を奪われた際、妻子を城に残したまま逃走。
- 198年、再び呂布に敗れた際、妻子を捨てて曹操のもとへ単身逃走。
- 208年、曹操軍に追われた長坂の戦いでも、妻子を捨てて数十騎で逃走。(この時、趙雲が命がけで阿斗を救出しました)
そして、演義には「兄弟は手足のごとし、妻子は衣服のごとし(服は破れれば縫えばいいが、手足は切れたら戻らない)」という劉備の有名なセリフがあります。
これは、「だから張飛よ、死ぬな」という義兄弟への愛の言葉として描かれていますが、裏を返せば「妻子の代わりはいくらでもいる」という極めてドライな価値観を示しています。
また、現代では「クズ」と言われかねませんが、当時の群雄割拠の時代において、一族全滅を避けるためには「当主(劉備)だけは何としても生き延びる」ことが最優先事項でした。
冷酷ですが、家を存続させるための合理的判断でもあったのです。
厚黒学で読み解く図太い精神


中国の思想家・李宗吾が提唱した「厚黒学(こうこくがく)」という処世術があります。
「面の皮を厚く(厚顔)、腹を黒く(腹黒)」することこそが英雄の条件だという説ですが、劉備はこのうち「厚顔(面の皮の厚さ)」の達人として分析されています。
そこで、劉備のキャリアを見てみると、公孫瓚、陶謙、呂布、曹操、袁紹、劉表と、次々と主君を変え、時には昨日の敵に平気で頭を下げて身を寄せています。
これは、「節操がない」と批判されることもありますが、プライドをかなぐり捨ててでも生き残る、その図太い精神力(レジリエンス)こそが、彼の最大の才能でした。
曹操のような天才でなくとも、恥をかいてでも泥水をすすってでも生き延びれば、最後には勝つチャンスが巡ってくる。
このような、劉備の生き方は、私たちに「諦めないこと」の凄みを教えてくれます。
諸葛亮への遺言は本心か
223年、劉備が死の間際に諸葛亮を枕元に呼んで残した遺言は、三国志史上最も議論を呼ぶミステリーの一つです。
「君の才能は曹丕の10倍ある。もし我が子(劉禅)が皇帝の器でなければ、君が自ら国を治めよ(君自ら取るべし)」
このように、君主が臣下に「帝位を奪ってもいい」と言うのは前代未聞ですが、これには大きく二つの解釈があります。
- 本心からの信頼:「漢室復興」という夢と、蜀の民の安寧のためなら、血統にこだわらず最良の選択(諸葛亮が即位)をしてほしいという、公を優先する純粋な思い。
- 老獪な計算(恫喝):「君がなれ」と先に言ってしまうことで、忠義に厚い諸葛亮に「滅相もない、命を懸けて補佐します」と言わせ、謀反の芽を完全に摘むための高度な心理的罠。
私は、おそらくこの両方の感情が入り混じっていたのではないかと思いますよ。
諸葛亮を心から愛し信頼していた一方で、権力の魔力を知り尽くした政治家として、息子の安全を担保するために「徳の鎖」で諸葛亮を縛り付けた。
この矛盾こそが、劉備という人物の底知れない深みなのです。
現代社会で役立つ無能な強み
現代のビジネスやチームビルディングにおいて、劉備のスタイルは「サーバント・リーダーシップ(奉仕型リーダーシップ)」の究極形として非常に参考になります。
彼は、軍略や行政実務といった専門的なことは、自分より優れた部下(諸葛亮など)に全面的に「丸投げ」しました。
「私には知恵がない。だから君がやってくれ」
このように、リーダーが素直に自分の「弱さ(無能さ)」をさらけ出し、権限を委譲(エンパワーメント)して、その代わり、最終的な責任だけは自分が取る。
この態度を示されると、部下は「自分が支えなければ」という当事者意識を持ち、能力を120%発揮しようとします。
つまり、何でも自分でやろうとする完璧主義者よりも、劉備のような「愛される無能」であり、周囲に「助けてくれ」と言えるリーダーこそが、結果として最強のチームを作り上げることができるのかもしれませんね。



曹操とは対照的な「任せる力」と、目的のために妻子すら切り捨てる「非情な決断力」。この矛盾こそが劉備の凄みなんです。無能をさらけ出し部下の力を引き出すスタイルは、現代のリーダーにも通じる最強の生存戦略と言えるでしょう。
よくある質問(FAQ)
最後に、劉備の性格や特徴について、検索ユーザーの皆さんが気になっている細かい疑問にまとめてお答えします。
物語のキラキラしたイメージとは少し違う、生々しい事実を知っておくと、より三国志が深く面白くなりますよ。
Q1. 劉備の身長や容姿にはどんな特徴がありますか?
『三国志演義』では身長が七尺五寸(約173cm〜180cm説あり)あり、耳が非常に大きく自分の目で見えるほどで、腕は膝まで届く長さだったと描写されています。当時の中国では、このような「異相(人と違う見た目)」は、凡人とは異なる英雄や皇帝になる器を示す象徴的な特徴として語られていました。また、現代で言えば、カリスマ特有のオーラを表現したものでしょう。
Q2. 劉備は個人の武勇や剣術も強かったのですか?
演義では「雌雄一対の剣(双股剣)」を使いこなしますが、史実でも決して弱くはありません。若い頃は武闘派の若者たちと交わり、数々の激戦を前線で指揮して生き抜いています。また、関羽や張飛という一騎当千の豪傑が兄貴分として慕っていたことから、彼らに認められるだけの肝っ玉と、乱戦を生き残るだけの一定の武術・馬術の心得はあったと考えられます。
Q3. 劉備の死因は何だったのですか?
223年、夷陵(いりょう)の戦いで呉の陸遜に火攻めで大敗した心労と、長年の戦いによる疲労が重なり、病に倒れました。逃げ込んだ白帝城(現在の重慶市奉節県)で病状が悪化し、諸葛亮らに後事を託して崩御しました。享年63歳。戦場での討ち死にではなく病死でしたが、過酷な乱世の君主としては比較的長命な部類に入ります。
まとめ:三国志の劉備の性格から学ぶ処世術
劉備玄徳は、物語で描かれるような完全無欠の聖人君子でも、逆に腹黒いだけの悪人でもありませんでした。
彼は、何もないところから出発し、プライドを捨て、涙を武器にし、時には非情な決断をしてでも乱世を生き抜こうとした、究極のリアリストです。
「能力がないなら、ある人の力を借りればいい」
「負けても、生きていれば次がある」
そんな彼の泥臭くもしぶとい生き様は、現代社会で成果主義や人間関係のプレッシャーに押しつぶされそうな私たちに、大きな勇気と「生き残るためのヒント」を与えてくれるのではないでしょうか?
そして、この記事をきっかけに、ぜひ正史『三国志』に描かれた、人間味あふれる劉備の姿にも触れてみてくださいね。



劉備は聖人でも悪人でもなく、泥水をすすってでも生き残る究極のリアリストでした。プライドを捨て他力を活用し、失敗しても再起する「図太い精神力」。その生き様は、正解のない現代社会を生きる私たちに、困難を乗り越える勇気とヒントを与えてくれますね。
※本記事の情報は歴史的資料に基づきますが、解釈には諸説あります。正確な情報は専門書等をご確認ください。
